風は吹いているか

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▲α7R + Noctilux 50mm f1.0

映画が終わり席を立つ。いい映画だったね。面白かったよ。泣けたねえ。ねえねえ。という声が周りから聞こえてきた。
話題作である。公開後半年以上経つが今日観た映画館も六七割席が埋まっていた。
宮﨑駿監督の『風立ちぬ』。一言で言えば矛盾した映画だった。堀越二郎、カプロニという実在の人物を扱いあがら内容はファンタジーであり、ついこないだの戦争も、またファンタジーだった。宮崎駿監督はモデルグラッフィクに連載する程にミニタリーオタクとして有名であるが、そのミニタリー好きと、戦争と、メロドラマをどう扱うのかという意味で矛盾だらけだった。カットとカットの隙間は『夢』で接続されボクはイメージの海に溺れた。確かに宮崎駿作品にはその傾向はあったが、『風立ちぬ』ではより現実と結び付くため、脳みそが混乱してしまう。
「生きて」
堀越二郎は零式戦闘機を創り、戦争を拡大延長させ「あなたは生きて」という想いを押し殺し屍の山を築いた一因も作った。菜穂子とのメロドラマは堀辰雄の『風立ちぬ』をベースしたものであるが、そこに堀越二郎を持ち込んだのは何故なんだろう。
そして堀越二郎とカプロニとの対話で進む物語。
「創造的な人生の持ち時間は10年だ」
もしかするとこれが言いたかったのかもしれない。そうでないかもしれない。答えなどなく、喉に引っかかる鯖の小骨のように、飲み込むことも吐き出すこともできない違和感を映画を観終わって抱えてしまった。おそらくはそれで良いのだろう。
素直にいい映画だったね、とは言えないが観ておいて良かった。